ふっかつ?

女子の毎月恒例苦行期間を終え、なんとなく元気になった気がしなくもないなう。
あくまでも「なう」限定なのが悲しいところ。
今日も午前中はちょっと調子が悪かったので、やっぱり「なう」としか言いようがない…。
実は最近、いや、ここ数日…かな?、あんまり上手く眠れてなくて、天気が良くて体調が安定してる日は無駄に外をうろつき回ったり、体調のイマイチな日でもなるべく外に出るようにしたり、微妙に努力はしていたんですが効果がなくて疲れるばっかりで地味に脳に疲労が蓄積されていってるような気がする日々を送っていたのですが、今日はなんとお昼寝したのですよ!
えっと、先に書いたとおり午前中体調イマイチだったので、午後ちょこっとだけ外に出たんですけど、家に帰って窓を開けて本を読んでたら、こう、ウトウトと…久々に眠気が。
で、一時間くらい眠って夕方に目が覚めてからは体調もスッキリ!みたいなね!
ちょっと前までは昼寝して夜も寝て、ちょっと寝すぎじゃないですかねソレ、みたいな生活を送ってたので、久々のお昼寝は快適でございました…。
ていうかお昼寝大好きなのは実は昔からですが。
良いよねー、お昼寝。
お昼寝が許されない学生時代、体調を崩して学校の保健室や家で心置きなくお昼寝することを許され眠る時の心地よさといったらもうね。
今でも忘れられん。
というわけでお昼寝大好き。
この調子なら今夜はいい感じに眠れる予感。
昼寝したら夜眠れないんじゃ?とか、そんな正論は聞きません。
ていうか、私の場合、生来の性質として昼間に一時間くらい眠っただけで夜眠るのに支障を来たすことは有り得ないというか、そもそも精神安定剤として眠くなる薬を処方され服用しているのだから一般的な人より眠いくらいが割と自然というか、大体にして夜はきっちり睡眠導入剤を飲んでいるので眠くならない方がおかしいというか。
まぁ、昼間に六時間くらい熟睡したらさすがに夜寝るのに支障も来たすけど、一時間じゃねぇ…。
と、自分に言い聞かせてみる。
なんか、最近、眠れねーなーと思いながら布団でゴロゴロしてるうちに気づいたら夜が明けてるんだよね…それでも眠れなくて起きて朝食を食べるべきか引き続き寝る努力をするべきか悩んでるうちにゆるゆる浅い眠りに落ちてて、なんか変な夢とか見て、目が覚めてるんだか寝てるんだか分かんないくらい何度も目が覚めて、ようやく昼ぐらいに起きる、とかをずっと繰り返してたので、「眠い」という感覚が久々な気がして感動した。
この感動を是非今夜も味わいたい。
今の私ならいける気がする。
というわけで、この調子でどんどん元気になりたいですね!
そして来週はまた愛媛に行く予定。
じいちゃんの四十九日があるからね!
なんとなく、法事に関してさしたる興味はないのだけど、納骨だけは見ておきたいなって。
輪廻転生や死後の世界を否定して、幽霊も見えない、信仰心もない、そんな私にとって、死んだらそこまでで、じいちゃんはもうどこにもいなくて、死体は所詮「じいちゃんだったもの」という認識なんだけど、それでも、その「じいちゃんだったもの」の行く末を出来れば最後まで、手が届かなくなるまで見届けたいなぁ、と思う。
だから、法要はどうでもいいけど納骨にだけは立ち会いたい。
自分でも不思議な感じ。
私は一体何を考えているのやら。
まぁ、自分の手で箸を使って「熱い熱い」と言いながら頑張って沢山拾って「じいちゃんカルシウム摂り過ぎだよ!」と笑ってボヤきながら砕いて骨壷に納めた骨に愛着が湧いたということなのかもしれないけど。
いや、親族もひととおりみんな拾ったんだけど、結構かなりの数の骨が残ってて、最終的には孫達でみたいな感じになって、孫の中で子どもがいなくて手が空いてて協力的なの私を含めて三人しかいなくてね…。
もっと原型わかんないくらい灰になってると思ってた…もっと燃えた骨ってスカスカしてるもんだと思ってた…。
貴重な体験でしたね!
というわけで、やっぱり愛着が湧いているのかもしれん。
まぁ死んだ人間のことは割とどうでもいい。(酷い言い方かもだけど)
納骨も、出来れば見たいなー、くらいだったし。
それよりなにより四十九日という名目を使ってわざわざ愛媛まで行きたい理由があるのです。
っていうか、出来たのです。
あんな、五月のGW明けからの、明らかに不安定な私の日記の原因っていうか、きっかけなんだけど、父から、祖母ががんになったと聞かされまして。
あ、ちなみに今度の四十九日は父方の祖父のですよ。
つまり、相方を亡くして意気消沈したばあちゃんが程なくして体調不良で病院に行ったらがんが見つかった、ということらしい。
まぁ、聞いた当初は私も動揺したし、同時に父に色々言われたこともあって不安定にもなったけど、今は気持ちも落ち着いて自分のやりたいことが分かってるし、私は大丈夫だと思います。多分。
心身共に調子が安定してない今の状況じゃ、説得力ないけど。
でもやっぱ、お見舞いとか、行きたいなって。
すぐに死ぬわけじゃないんだろうけど、でも、生きてるうちに、会えるだけ会っておきたいなぁって、思う。
なんか、それに関して「何でわざわざ今会いたいの?死ぬ直前とかじゃ駄目なの?」という疑問を投げかけられて答えられなくて、考えたんだけど、私にとって、死ぬことは別にそんなに特別なことじゃなくて、所詮は生きることの延長線上にあるものなんだという認識が強いんだと思う。
勿論、死んだらそこでおしまい、とも思ってるんだけど。
なんだろう、上手く表現できないんだけど、死ぬ直前より、当たり前みたいな日常の方が、ずっとずっと大切で、大事にしたい。
日常をないがしろにして、死ぬ直前だからって駆けつけるのは、なんだか偽善じみた行動に思える気がする。
だから、今、行きたい。
ばあちゃんの当たり前の日常が壊された今だから、これからの当たり前の日常のために行きたい。
行って何が出来るのかって言われたら、何も答えられないんだけど。
何も出来なくても、それでも、せめて会いたいと思う。
でも、気軽に行ける距離じゃないから、何か名目がないと行きづらくて、そこにちょうど四十九日ですよ。
というわけで、来週愛媛に行くためにも、私は元気になるのです。
あと地味に母方のばあちゃんも気になるしね…。
葬儀で愛媛に行った時にはバタバタしてて結局会えなんだから、折角愛媛くんだりで行くのならそっちも顔出しておきたい。
これが心配ってやつなのかなぁ?
単なる自己満足なだけの気もするけど。
みんな、いつかは死ぬよ。
老いも若きも関係なく、明日がある保障なんて、どこにもないよ。
でも、老いていればいるほど、可能性は高くなるのは動かない事実。
愛媛は遠くて、気軽には行けなくて、生きてる間に会える回数は限られてる。
それに気づいたから、私は毎年愛媛に行ってたんだよ。
遊びに行っていたという事実は否定しないけど、遊びに行くという名目、というか側面を使って、その裏で、本当は、じいちゃんばあちゃん達に、会いに行ってたんだよ。
気づいてくれたかな。
喜んで、くれてたのかな。
…わかんないなぁ。
でも、それしか私に出来ることが思い浮かばなかったから。
だからずっと、気づいてからずっと、繰り返してたし、これからも繰り返す。
会いに、行くよ。
どんな理由を使っても、少なくとも、一年に一回くらいは。
私がこうして自発的にわざわざ遠路はるばる足を運んで会いに行く相手というのは世の中にそうそういないんだという事はイマイチ相手に伝わってないと思うけど。
まぁ、そんな恩着せがましいことは伝わらなくていいし私の気持ちも一切伝える気はないんだけど、せめて、少しでも喜んでくれてたらいいなぁって思う。
ま、29歳未婚女無職という自身のまごうことなき身分により、会いに行く度に喜ぶより不安にさせているかもしれないと、ついこないだの葬儀で思い至ってしまったけども。
エヘ。出来れば私の事はあんま気にしないでおいて欲しいなぁ。…なんて。
どうせ自分勝手で自己満足なことばっかやってますよーブヒー。
いいもーん、好き勝手するもーん。
そういう性格なんだよ残念でしたー。
というわけで愛媛に行くのだ。
というわけで、体調も良くするのだ。
ホント、いつまでもうだうだしてらんないんだってばさ。
元気になーれ∩(*´3`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・*
ぶっちゃけそろそろ魔法が使えてもいい頃かなって思うんだ。