お久しぶりでございます。

7ヶ月程ご無沙汰しておりました。
ちなみにこの日記だけでなく、リアルの世界でも半年程はほぼ沈黙を保ったので、諸方面の友人から口を揃えた様に「元気?」というメールを頂きました。
まぁ元気ですよ。
多分。
便りがないのは良い便りと言いますが、私の場合、便りがないとリアルで何が起こってるかわかったもんじゃないという前科がいくつもあるので、そこそこにご心配をおかけしてしまったようです。
でも、心配されるようなことは何もなかったよ!
死んでたり、入院してたり、逮捕されてたり、そんな事実は微塵もなかったよ!
というわけで、総評すれば「まぁ元気だった」と言えるんじゃないかと思います。
鬱は悪化してましたが。
まぁ、うん、…日記を書く余力もなかったわ。
しばらくはさ、私、頑張ってたと思うんだよ。
外に出てたし、普通に生活しようとしてたし、日記も書いてたし。
でもさ、ある日、なんか、プツッと、電池が切れたみたいになっちゃって。
後から思えば、あの後あれだけ元気だったのって、鬱が悪化する前の予兆っていうか、一種の躁状態だったんじゃないかなって思うんだけど。
だって、人生で一番最悪だと思ってる日に、最悪な出来事が起こって、平気でいられるわけないじゃんねぇ?
テレビを見ながら、何度も何度も何度も「私が死ねば良かったのに」と思ったよ。
「どうして私が生きてるんだろう」とも思ったよ。
「どうして私は死なないんだろう」とも思ったよ。
小さい頃、毎日神様に「私を殺してください」ってお祈りしたのを思い出したよ。
その願いは結局未だに叶わなくて、そして私は神様に祈るのを止めた。
神様がもしいるとしても、私の願い事なんて叶えてくれないのなら、いないのと同じだと思ったから。
そう思った私への罰だろうかとも思ったよ。
神様が、私を生かして生かして、代わりに何の罪もない真っ当な人たちが死んでいく現実を私に見せ付けてるのかと思ったよ。
「おまえが死ねばよかったのに」って声が、自分の中から聞こえたよ。
それでもその声を聞こえないフリして感情をねじ伏せて、頑張って普通に生活しようとしたよ。
だから、折れちゃったんだなって、今なら思う。
もっと、思うままに、吐き出せばよかったのかもしれない。
でも吐き出すことすら辛くて、見ないフリをした。
大丈夫なフリをした。
そしてそのフリに、誰も気づかなかった。
自分も気づかないフリをした。
だから、駄目だったんだなぁって、今なら思う。
だけど、それが分かっても、私は何度も同じことを繰り返すような気もしてる。
「折れた」って何さ、何がどうなってたのさって感じだろうけど、要するに鬱が悪化したって言うね…。
日頃から「鬱だ鬱だ」と言っていた私ですが、何ていうか、本当の鬱の深淵を覗き込んだような感じでした。
鬱とか、軽々しく使えるもんじゃなかったよ。
少なくともアレだ、三大欲求より「めんどくさい」が勝たないうちは鬱なんて言っても可愛いもんだわ。
ていうか、私、凄く凄く頑張って気力を総動員してご飯を食べるのが精一杯な状態でした。
かろうじて家事の中でゴミ出しと洗濯はしてたけど、それさえ危うい時もあったりして、当然のように掃除なんか出来る訳もなく、ご飯とか言ってもロクなもんを作る気力もなく、「もう何でもいいから腹に押し込んどきゃいいだろ」みたいな感じで、多分主婦とかが見たら目を覆うような生活態度だったんじゃないかと思う。
ていうかそういえばな話なんですが、最近気付いたんだけど、普通の人は、別にご飯食べるのに気合を必要としないんだよね。凄いよね。
や、今年も田舎の親戚の家に妹と甥っ子と行って来たんですが、母方の祖母が毎回もの凄い量のおかしやら何やらで歓迎してくれる人で、今年も例に漏れずなんか大量の食料を目の前に出されてしまったんですが、それが日持ちしないものばかりで。
一人暮らしの祖母だけでは残しても消費しきれないだろうし、残り物を夕飯にしてる祖母の姿は想像するだけで心苦しかったので、気合で私の分は全部食べたんですが、妹は食べなくて、結局お持ち帰りさせたんですよ。
で、後で「あのくらい気合で食べなさいよ」って言ったら、「何でそこまでして食べなきゃならないの」って返されて、ああ、そういえば、私は結構ご飯を食べるのに気合を入れないと駄目な時が多くて、そのノリの延長線上で気合で食べるとかなんてことないけど、普通の人の感性からすれば、こんなもんなのかもなぁって。
目から鱗みたいな感じでした。
凄いよね。
お腹が減るんでしょ?
で、何か食べたいとか思うんでしょ?
具体的なメニューとか食材とか浮かんじゃうんでしょ?
出来れば美味しいものが食べたいとか思うんでしょ?
それで、料理する人は、レシピとか見ながら色々作ったりするんでしょ?
料理しない人は、お財布に余裕がある時は、外食に出かけたりするんでしょ?
それが全部自然に出来るんでしょ?
凄いよね。
ご飯食べるのめんどくさいからまぁいっかーでも先生にご飯ちゃんと食べなさいって言われてるし食べなきゃだよなぁーめんどくさいなーとかいう葛藤をしながら日々黙々と口に食物を突っ込む作業をしてる私とはえらい違いだよね。
あ、最近はちゃんとお腹減るようになったよ!…減らない時もあるけど。
まぁ、そんな感じで、日がな一日布団でゴロゴロしてるような毎日を半年程過ごしておりました。
死にたいけど死ぬ元気もないってこういうことかーとか思ったよ。
いや、私が最後にひとかけら残った気力を手放して何も口にしなければ死ねたんだろうけど。
なかなかにしぶといね
というわけでまだ生きてます。
この半年の間に会った人は、恐らく「どうしようもなく気力がなくなってるけど無理して頑張って大丈夫なフリをしている私」を目撃されたことかと思います。
挙動不審だったらそのせいです。
夏くらいにいい加減ある程度自己治癒力的なもので回復したので、先生に正直に「何もする気力がないんです」って白状したら(それまでは「いつも通りです」って言って誤魔化してました)、薬の変更があって、あと普段の私の生活を見てるはずの親御さんは何を見てるの的な感じになって(そういう事を言われたわけじゃなくて雰囲気的に勝手に感じ取っただけですが)、うちの親にそういうの期待するのは間違ってるなぁとか思ってみたり、じゃあ誰が私を監督というか保護というか見守ってくれるのかというと他に誰もいないわけで、この問題についてはどうしようもないという結論に達したので、先生にはやっぱり言葉を濁しておきました。
あの人たちにそういう芸当が出来るのならそもそも私が一人で精神科通ったりしてない。
明らかに異常な行動をする娘を見て見ないフリして放置してきた人たちだもの。
目の前で絶食したり大量服薬したりしてもスルーしてきたた人たちだもの。
私の左腕にどれだけ傷が増えようと全く話題にも上げなかった人たちだもの。
そんな人たちに「他人を気にかける」とかいう高等技能が備わってるわけないじゃない。
きっと私が同じ屋根の下で首をくくってても死後数日経ってから発見するような人たちだよ。
なんかねー、鬱の人の本とか読んだりすると、大抵が傍で一緒に生活して支えてくれる人がいるのに、私にはいないなーと思うと、ちょっと切なくなったりしつつ、自力で頑張るしかねぇなと思うわけなのです。
自分の力でやれるところまで頑張るよ!
それはともかく話を元に戻しまして、薬を変えてから、大分調子が回復しまして、先月だか先々月くらいに会った友人に「心配だからブログだけでも更新して」と言われて「あともうちょい回復したら」と答えたまま、なんとなくずるずると日々を過ごしていてこんな時期の復活になりました。
「あともうちょい回復」したのかどうかはよくわからんけども。
いや、自分では回復した気でいるんですが、私、前述した通り、自分が不調でも大丈夫なフリを自分に対してもしてしまうんですよ。
でも一番最近会った友人には、「去年の年末くらいに会った時より表情が明るくなってる」って言われたので、多分回復してるんだと思います。
去年の年末に色々あって悪化してたところにズドンといったからなー。
あははははは。
今はもう、大分元気ですよ。
でも、これから、ちょっとだけ、吐き出すよ。


ねぇ、どうして私が死ななかったのかな。
だって、私の誕生日でしょ?
私にとって特別な日でしょ?
他の人にしたらただの平日でしょ?
だったら、私を殺せば良かったじゃないか。
ねぇ、どうしてまだ生きてるの?
私なんて生まれてこなければよかったのにね。
生きるだけで何かを誰かを食い潰すだけで害悪にしかならないのに、まだ平気な顔して生きてられるなんて、なんて厚顔さだろう。
図々しいにも程がある。
死ねばいいのに。
早く死ねよ。
お前が生きてるだけで迷惑だ。
でも、死んでもやっぱり迷惑をかけるよね。
もうお前の存在自体が迷惑でしかないんだよ。
生まれてこなければ良かったのにね。
そもそも存在自体が間違いだったんだよ。
死んでかける迷惑より、間違いを犯し続けることの方が罪なんじゃないの?
ねぇ、もう、いいじゃない。
十分粘ったじゃない。
満足でしょ?
だからさ、もう、死ねよ。
ねぇ、私の声が、聞こえてるんでしょ?
聞こえないフリをして、何てことない顔して笑うんだね。
だけど、私はずっとあんたの中で言い続けてるよ。
分かってるよね。本当は聞こえてるよね。
死ね。死ね。死ね。
…ねぇ、どうして、それでも、私は、頑張るのかなぁ?
聞こえてるよ。ずっと聞こえてるよ。
もう頑張らなくていいじゃないって、自分でも思うよ。
頑張ること自体が間違ってるんじゃないかって、自分でも思うよ。
未来をどんなに探したって希望なんて見つけられないのに、それでも自分の中の声に頑張って逆らって、今死ぬことを選ばないのは、…何でかなぁ?
でも、いつか、きっと、死ぬ。
だから、それまでは生きるかって、思う。
いつか、死にたくてどうしようもなくなるまで。
いつか、死ぬより他の未来が選べなくなるまで。
いつか、終わるまで。
それまでは、生きる。


ハイ、「ちょっと」おしまいー!
もうホントにねー、油断すると頭の中で「死ね死ね」うるさいんだからもー困っちゃうよね。
ちょっと黙ってて欲しいよね。
もうね、私の人生私の勝手にして何が悪いんじゃい!ってなモンですよね。
大体「私」が「ちょっと」吐き出す場に一人称で現れるとか、お前こそ図々しいんだよって話デスヨ。
意図してないし許可もしてないからね。
「私」の愚痴とか泣き言を言うはずだったのにー。ぶー。
いやいや、私の一部であることは知ってるし認める。
だけど、メインこっちだから!
人格乗っ取るなっつー話ですよ。
こんな感じで、私の中には常に上で「ちょっと」書いた何倍もの毒がぐるぐるしててもう一つの人格に近いレベルまで存在感を放っているので、いっぱいいっぱいでホント大変です。
でももう不可抗力とは言えちょこっと表に出してやったのでシャットアウトです。
ハイハイ、何にも聞こえませんヨー。
私は元気ですよー。
明日も元気に生きてくつもりですよー。
悪かったね。
ざまぁみろ。
私はまだ、生きてやる。