生きるって

ずばり苦行ですか。
そんな感じの現在のけい(ひきこもり25歳)です、こんにちは。
随分お久し振りです。
えー、先月から今月にかけて約束をドタキャンした友人方、すいませんでした。
そして音信普通な私を心配してしてくれた友人方、ありがとう。
今月上旬はまだ気持ちの整理とか以前に身辺の整理が全くついてない状態で、「今は詳しいことを話す気力がないからまた今度」みたいなおざなりな返事を返してしまってすいません。
そして未だに「詳しい話」を全くしてないのは、メールじゃどう書いていいのか分からなくて、直接会ったら話そうかなーとか思ってるうちに一ヶ月近くが経ってしまったから。
一応、中旬くらいからはようやく日常生活を送れるようになってきたので、それ以降会った友人には話をしたんですが。
でもこのまま行くと次会うのはいつだよみたいな友人もいるので、ここに「詳しい話」の一部を書こうと思ったわけです。
というより本音を言えば、毎日毎日一人で抱えて生きるのには重過ぎる話で、正直もうつらくてどうしようもなくてどっかにぶちまけないと生きていくのさえ困難になりそうだったからです。
生きるのって、つらい。


7月の日記の数日後、確か梅雨明け宣言間もない頃だったと思います。
5月の日記にも散々書きましたが、私は真ん中の妹と仲が悪くて、で、7月のとある日のささいな喧嘩から、殺人未遂事件にまで発展して要するに逮捕されて8月上旬まで留置所にいました。
とか言うと私を知る大体の人が「って言っても実際はそんな大したことしてないんでしょ?妹さんが通報しちゃっただけで」と仰るんですが、イエイエ、大したことしました。
多分、加害者が私じゃなければ死んでた(私は壮絶に非力なので)し、私が何をしたのか話した時に弁護士さんにも「そこまでしたら、君がどう否定しようと殺意があったって思われてもおかしくないし、普通は死んでるから、もう君、裁判覚悟しなさい」って言われました。
そのくらいのことをしました。
が、如何せん加害者が私だったので、一応、全治2週間の軽傷で済みました。
それについては色んな人に「ホントそこまでやって全治2週間って奇跡的だよ。運が良かったね」と言われました。
何度も言いますが、そのくらいのことを、私はしました。
で、殺意があったのかどうかって、かなり重要なポイントなので何度も何度も聞かれたんですが、自分では分からなくて、そりゃやったことを鑑みたらあって当然、みたいな感じなんだけど、「絶対殺す。死ね妹」みたいな決意をしてやったわけでもないので、何度も何度も聞かれたのでずっと考え続けたんですが、本当に、正直、未だに分からないです。
で、先程も書いたとおり、逮捕・拘留されて、携帯電話も押収されたので外部との連絡も不可能な状態になり(面会は可能でしたがそもそも逮捕されたことを家族以外誰も知らないという…)、突発的に長期的な音信不通になってました。
それが音信不通の言い訳です。ごめんなさい。
しかし本来、弁護士さんも言ったとおり起訴確定、おまけに相手は同じ屋根の下に住む妹だから保釈は絶望的、というわけで、10月半ばくらいまで、私はあの檻の中にいる予定だったのです。
それが早まったのは、弁護士さんの働きとか家族の協力姿勢とか色々あるわけですが、一番大きかったのが、私の話を聞いた警察の方が良心的で、なおかつ検察官までもが私に対して温情的な姿勢を見せて下さったことです。
弁護士さんが検察官の方に話を聞きに行ったら、「この子は起訴しない方向にしてあげたい」とか言われて大層ビックリしてました。
ちうか正直言わせて貰えば、警察の人も検察官の人も私にとっても優しかったけど、弁護士だけ冷たかったよ…。
勿論、しっかり仕事はしていただいたので文句は言えませんが。
でも検察官の人なんて、私の罪状をなんとか上手いこと供述を誘導して「殺人未遂」から「傷害」に切り替えてくれたんだぜ…!
どんだけ私に対して優しいんですか。
警察の取調官も、事件当初かなり混乱してて「殺意?あんだけ血が流れるようなことしたんだから当然あったに決まってるじゃない、もうこんな危険人物さっさと逮捕して拘束してよいっそ死刑にしてよ」みたいなノリで答えた供述調書、後日冷静になって「やっぱり殺意はあったかどうかわかりません」て嘘くさい正直な話をしたら、ちゃんと丁寧に書き換えてくださいました。
どんだけ私に対して優しいんですか。
兎にも角にも、良くて執行猶予、悪くて刑務所行き、とりあえず10月半ばまで身柄拘置はほぼ確定、の状況が覆ったのは、7月ももう残すところ数日、というところでした。
そこから弁護士と両親は大忙しだったらしいです。
とりあえず、外に出てまた同じことをしないと約束できるような環境を、ということで、実家の近くにアパートを確保、ついでに妹の「被害届取り下げます」署名も確保、生活必需品を買って…みたいな感じだったらしいです。
その甲斐あって、無事、8月上旬、私は釈放されました。
釈放されてすぐにメールの返信をしましたが、精神的疲労が強く、返事はおざなり。
しかも新しい家の生活必需品もまだ揃ってない状態で、色々と買い足したり、実家から荷物を運び込んだりという作業が忙しく、直後の土日の約束はドタキャンさせて頂きました。
ごめん、友人達よ…。
ここまでが、一連の流れと、言い訳です。
前回の日記で「色々あって」の、「色々」の概要はこんな感じです。


ここから先は、私の愚痴です。
私は、事件を起こした当初、自分のやってしまったことが、あんなことをやってしまった自分が、怖かった。
ずっと自分は誰かを傷つけるくらいなら、自分が死のうと思う人間だと信じてたのに、崩された。
だから、怖くて怖くて、こんな恐ろしい人間は死ねばいいと思ったし、死にたかった。
長い長い当日の取調べの間、私は一口もお茶を飲みませんでした。
警察の方が気を遣って「お茶冷めちゃって美味しくないだろうから煎れ直すね」って何度もかえてくれたけど、それにも全く口をつけなかった。
夜になって、「これから女子専用の留置所のあるところまで行くけど、向こうはもう就寝時間だから、ここで何か食べて行こうね。何が食べたい?」と言われたときも、「何も食べたくない」と答えた。
それでも気を遣っておにぎりとサンドイッチを買ってきて下さって、さらに精神科まで行ってクリニックの薬まで貰って来て下さって、「夜の薬を飲まなきゃいけないから、少しでも何か食べなさい」とか「クリニックの先生も心配してたよ」とか色々声をかけて頂いたけど、それでも手をつけようとしなかった。
食べたくなかった。もう生きたくなかった。
見るに見かねて、警察の人も取調べを止めて、私に何か口にさせるための説得に切り替えた。
多分、一時間くらい説得に説得を重ねられて、ようやく私が折れて、なんとかおにぎり一個だけを口にした。
でも、留置所に着いたら、何も食べないで、そのまま死のうと思った。
体も、心も、全力で生きることを放棄したがってた。
そんな私が、留置所でなんとかご飯を食べることが出来ていたのは、ひとえに同室のお姉さんのおかげ。
お姉さんは、そこの留置所の一番の古株で、要するにそんだけ悪いことをして入ってたわけだけども(苦笑)、とても気さくで、私に気を遣ってくれて、たくさん励ましてくれて、…このお姉さんに、心配かけたくないなぁって思って、頑張ってご飯を食べるようになった。
私が一日中呆けてるのを見て、それでも何度も話しかけてくれて、「話しかけられるの嫌?うざかったらごめん」って言葉に「話しかけられるのは嫌じゃないんですけど、人と話すのが苦手なんです」って答えた私に、「じゃあここにいる間に人と話す練習をしようね!」ってポジティブな言葉をかけてくれて。
「一日中一緒なんだから気を遣ってると疲れちゃうよ。だから私も気を遣わないから、けいちゃんも気を遣わなくて良いよ」って言ってくれたくせに、なんだかんだでたくさん気を遣ってくれて。
死のう、死にたい、って、そればっかりだった私が、あんな気の狂いそうな檻の中に一日中閉じ込められて、それでも多分正気を保ったまま、外に出られるまで生きてられるのは、本当にお姉さんのおかげだと思う。
それでも、ずっと、外に出て自由になったら、死のう、って思ってた。
留置所の中って、たまにニュースにもなるけど、容疑者が自殺すると大問題なわけですよ。
だから、そこらへんもう徹底して自殺に使えそうなものは一切持ち込めなかったり、制限かかってたりするし、一日中監視だらけ。
あの中で自殺しようと思ったら、そりゃ相当努力してえげつない死に方を選択するしかないわけですよ。
それに、看守さんはルールには厳しいけど普通の人間で、優しいところもあって、この人たちに迷惑はかけたくないなぁって思った。
だから、外に出たら死のう、そればっかり考えてた。
それさえ覆ったのは、最初に両親が面会に来た時。
父も、母も、泣いてた。
私があそこにいることを、事件を引き起こしてしまったことを、悲しんで泣いてた。
私は、父が泣いてるのを生まれて初めて見て、両親が私のことを想ってくれてることを嫌と言うほど思い知って、あぁ、死ねないなぁって、思った。
私はずっと、自分の命をおざなりにして、こんな風に周りの人を悲しませ続けて来たんだろうか。
私が死んでも、その時は悲しくても、いつかきっとみんな忘れてしまえるから大丈夫、私が死んだ方がきっと良くなるから大丈夫、なんて思ってきたけど、私がいなくなることで、子供の前で泣いたことのない父を泣かせてしまうくらいの悲しみを、他の誰かにも私は与えてしまうんだろうか。
それにも気付かないで、ずっと私は「私なんか死ねばいい」と思って来たんだろうか。
ごめん。ごめんね。
…でも、私は馬鹿だから、やっぱり「私なんか死ねばいい」って性懲りもなくまた思っちゃうと思うんだ。
っていうか、あれからずっと思ってる。
今でも思ってる。
「私なんて生まれてこなければ良かった」
「自殺未遂を起こした時、ちゃんと死んでいれば良かった」
「あんな事件を引き起こす前に、さっさと死んでいれば良かった」
生まれてこなければ、出会わなければ、誰も悲しんだり傷ついたりすることなんてなかったのに。
激しく後ろ向きです。ごめんなさい。
とりあえず、そんなわけで、なんか死ぬに死ねなくなっちゃって、とにかく帰りたい、その一心で頑張って生きてました。
でも、「外に出てまた同じことをしないと約束できるような環境を、ということで、実家の近くにアパートを確保」のくだりを弁護士から聞かされて、「あれ?」みたいな。
それは、家に、帰ってくるなって、そういういうことだよね?
それは、妹が望んでいることらしいです。
そして、父も、母も、それを了承して、実家の近くにアパートを借りて、父か母のどちらかが私と一緒に住むとか、そういう話になったとか。
妹が、望んでいることは、分かる。
多分、死ぬまで、もう私の顔も見たくない、いっそ私の存在自体脳内抹消してしまいたい、そんなとこでしょう。
だけど私は、留置所の中で、両親の泣き顔を見て、両親と、なにより妹との関係をきちんとやり直そう、そのために生きようと決意して、…でも、別居。
「別居して、会うなって言われて、どうやって関係やり直せば良いの?」って思って、率直に弁護士にも両親にも聞いてみても、「とりあえず今は別居するべき」みたいなことを言われて、…要するに、私を早いとこ留置所から出すためには、あの時弁護士と両親が取れる最善の選択が、「別居」だったんだよね。
良識のあるごく真っ当な方なら、この選択が非常に当たり前であることは分かると思います。
でもあの時の私にとっては、目の前が真っ暗になる思いだった。
うちの両親は、そもそも不仲で、両親も別居するって聞いて、あぁこれは母にとってはめんどくさい私と父をいっぺんに追い出せてオイシイ話だなって、思った。
それを率直に母に聞いて、なんか曖昧なはぐらかされかたをして、ホントうちはもう絶望的だなって、思った。
「帰りたい」と願って、それだけのために生きていたのに、「帰ってくるな」と言われた。
ずっと田舎のある友達が羨ましかった。
私もそんな風に、「帰りたい、帰る場所」が欲しかった。
でも、これからは、両親のいるあの家を「帰りたい、帰る場所」にするんだって思った。
それが、もう、この世のどこにもなくなっちゃった。
生きる支えが、どこにもない。
つまりそういうこと。
その後は、もうどうでも良くなって、適当にハイハイ言う事を聞いて、そして釈放の日になった。
で、釈放されたら新しい家が用意されていて、なんだか異常に我が家の生活水準からしたら立派な家(2DK)で、両親が浮かれて高い冷蔵庫やら洗濯機やらをもう買ってしまっていて、あぁ、こんなことされたら、今死ねないじゃん、って思った。
でも、次々と運び込まれてくる私の荷物を見て、「あぁ、私は本当にあの家を追い出されたんだなぁ、もう帰れないんだなぁ」って実感して、悲しくて死にたくなった。
そんな話を先生にしたら、「それだけのことをしてしまったんだから、それが自分の償いなんだとは思えない?」と言われた。
つまり、つらくて苦しくて悲しい思いをしながら生きていくのが、私の償い。義務。
死ねない、だけど死にたいくらい、つらくて苦しくて悲しい。
もう、生きることが義務にしか思えなくなった。
生きなくちゃならないから、生きる。
「〜しなきゃ」って考えてる時点で、それは自分にとっての嫌なことなんだから、そういうのはつらいときはしなくていいんだ、みたいなことを仕事辞める前に散々言われたけど、この場合、どうなんだろう。
つらいんですけど、もう生きるのやめて良いですか。
駄目ですよね、ごめんなさい。
でも、幸せになるのも駄目ですか。
楽しく生きるのも駄目ですか。
そんなことを言われて、私はどうやって生きていけばいいですか。
正直、限界ギリギリなんですけど。
なのに、先生には「そんなことを考えちゃうんだったら無理してでも働いた方が良い」とか言われて、初日っから「体調不良で休みますゴメンナサイ」連絡をする可能性が高い今の状態で、「雇ってください」とか言うのって、どんだけ無責任なんですか。
でも私がここに生きてるだけで両親に多大な金銭面での負担がかかってるのも事実で(家賃・光熱費は親持ち。生活費もいくらか)、したらやっぱ働かないとか有り得ないっしょ、みたいな感じで、諸々考えて要するに死にたい。
分かりやすく鞭打ち百回の刑を受ければ償い完了ー、とかだったら良かったのにね。
でもやっちゃったことは、一生背負っていかなきゃなんないし。
そんだけでも重いのに、よろけたときに寄りかかる杖もナシですか。
それが私がやったことの結果です。
全て、私が原因で、わたしのせいで、私が悪いんです。
だから私には文句を言う権利もなくて、むしろ有難がりながらただ言われるままに生きるしか選択肢がないんです。
それをつらいなんて、何様ですかってな話なんです。
でも、愚痴だから、聞かなかったことにして良いですから、言わせてください。
このまま生きていくのが、つらいんです。
死にたい。