疲れた

なんだか悲しい気持ちです。
こんな日は、自分の全てを棚に上げて愚痴を言うっきゃありません。
久々の日記がこれってどうよ?みたいな良心の呵責みたいなものは無視。


いま会社帰りの電車の中ですが、家に着く頃には多分10時近く。
別に残業してて遅くなったとかなら私も納得できるんだけど、今日は体調悪くて定時にあがったんですよ。
でも、どんなに体調悪くとも、来月富士登山に行くんですが私が富士山までの足を確保する係になり、お盆の時期だから早めにチケットとった方が良かろうってのに今週買いに行けそうな日が今日しかなく、内蔵ズタボロ中につき腹抱えてフラフラしながら行ってきたのです。
つか4人で行くはずなのに一人何の実にもならないメール返してきたり明らかにメール無視しやがってる奴がいるんだけど行く気あんのか?w
んで会社近くのJTBに6時過ぎくらいに行ったわけです。
店出たの7時半だったw
まぁ結構混んでたさ?
でも私の後にゆうに10人は待ってたのに、店出るの私が一番最後ってどういうことかな?w
私、ただJRと私鉄の指定席券・乗車券を買いに行っただけだよねぇ?
しかも自分の順番が来る前に必要事項は全部きっちり用紙に書いて渡したよねぇ?
つか「空席お調べしますのでお掛けになってお待ちください」って言われてから次に名前呼ばれるまで30分以上経ってたw
その間社員にその旨伝えたりもしたけど、急ぐ気配まるでなし。
私さ、家まで2時間かかる上に今日体調悪いからさっさと帰りたいんだけど?w
ってわけで不機嫌バロメーターがふっきれて現在進行形で悲しい気持ちでいっぱいになりました。
電車の中でちょっと泣いた。
だって疲れちゃった。
胃腸がズタメコで何か食べると吐き気がするし、何も食べなくても腹は痛いし、昼飯は昨日ウィダーインゼリー・今日カロリーメイト、それでも平気な顔して仕事して家帰って掃除洗濯して家族は勿論無関心、あたしはいつ誰に「おなか痛い」って弱音を吐けるのかなぁ?
まぁ弱音を吐くのは自由だよね。
でも私は、「大丈夫?」とか答えのわかりきった質問をして心配とかいう何の役にもたたない形式的な気遣いをされるのが、心の底から嫌いなのです。
「大丈夫?」とかさぁ、言うだけ言っとけば自分はちゃんと心配したんだ、みたいな良識に対する保険かけられて便利だよね。
本当はどうでもいいくせに。
例えば、私が、この電車の中の人間を砂糖に群がる蟻くらい、一匹一匹の存在自体は限りなくどうでもいい、群を成すと不快なものとしか思っていないように、目の前の人間にとっては例え私がここで血ゲロ吐いて倒れても、車内が臭くなったとか床が汚れて汚いとか運び出すのに電車止まってうざいとか、そんなとこなんだろう。
私は心の中が真っ黒なので、私には他人の心も真っ黒に見える。
人間はエゴと欲を建前で隠した醜悪な害虫で、善意や尊厳なんてものはまやかしだ。
こんな害悪でしかない生物の作った世界にはどこを見ても希望なんて見つからないし、だから滅べばいいと思う。
だから、世界は私に死ねと囁くんだ。
わかるかなぁ?あはは。
私が死にたくてたまらないのは、本当は私が世界を殺したくてたまらないからだ。
「死」とは、自分にとっての「ゼロ」だ、と思う。
私が死ねば、私にとっての世界は終わる。
それは世界が滅びるのと何が違う?
だから、私は、世界がどうしようもなく醜く不快に感じるとき、どうしようもなく死にたくなるのです。
死ぬのは悲しいことです。
好きだったもの全てに、お別れをしなきゃならないから。
だからきっと、涙が出るのです。
…死にたくないなぁ。
だから、私は、世界は優しく希望に満ちた愛すべきものなんだと、欺瞞じゃなく本気でそう思いたいのです。
嫌いなものがたくさんだと、生きるのも大変さね。