人間の尊厳

最近はテレビといえばニュースばっかり見てるけいです、コンバンハ。
毎日毎日、どこそこで人身事故があったとか、どこそこで傷害事件があったとか、そんなニュースばっかりでうんざりです。
楽しくない。
今日なんて某大手会社のうちの近くの支店の社員が派遣の女の子に強制わいせつして逮捕されてました。
そんな地元は嫌だ。
先日なんて渋谷で温泉施設が爆発して女の人三人も亡くなったりとかで凄い話題になってますよね。
なんかうち二人くらいは私とそう歳が変わらなかったそうです。
なんだかな。
世の中のニュースは楽しくないことばっかりで、そっくりそのまま世の中をあらわしてるみたいで嫌になります。
ちうかなんで久々にこんな日記のテンションがのっけからダークなのかというと、今日の世界仰天ニュースを物凄い勢いで見入ってしまったからなのです。
チェルノブイリ原発事故、の特集でした。
社会科の教科書とかに載ってたチェルノブイリですよチェルノブイリ
リアルタイムで生きてたはずなんですが、当時の私は2歳とかそのくらいの歳だったため、戦争とか原爆とか冷戦とかそういう教科書でしか見たことのないもの、といっしょくたに認識されてます。
しかも我が家は核家族なので生の戦争話とかそういうものを聞く機会にも恵まれず、そもそも田舎が愛媛なのでどこにも戦争の爪あとが見当たらず。
広島の原爆ドームとか、資料館とか行って、初めて教科書以外でそこでそういうことがあったんだっていう事実の痕跡を目にした。
そんな私が、遠い異国で起こった原発事故とか聞いても、何のリアリティも感じないわけなのです。
日本でさえ原発事故とか聞いてもピンとこないもん。
そんな私が、軽々しく「放射線は怖いですね、酷い事故だったんですね」とかそんなこととてもじゃないけど言えない。
いま書いたけど。
その痛みも、苦しみも、感情も、なにも自分で体感もしなければ自分の目で見てさえもいないのに、何を言えるというのか。
でも、ただ沈黙することは、被害に遭われたたくさんの人たちの叫びに蓋をして、見殺しにするのも同じことだ、と思う。
どんなに酷い昨日の記憶も、蓋をしていればやがては忘れていく。消えていく。死んでいく。
そうして馬鹿な生物に成り下がったとき、また同じ酷い昨日を繰り返すんだ。
忘れてもいい昨日だってある。
忘れなくちゃならない昨日だってある。
だけど、絶対に忘れてはならないことを間違えるな。
それでも、やっぱり、人間は忘れていく生き物だと思う。
痛みに鈍感で、馬鹿で、どんな生物よりも駆逐されるべき生き物だと思う。
人間の尊厳って何だ。
個人レベルでどんな立派な人だって、集まればただの人間っていう低脳な種族だ。
ああ、悲しいな。
それでも私も、人間なんだ。
忘れていく生き物なんだ。
その全てに、諦め、絶望し、ただ沈黙して死を待ち生きていく私は、きっと誰よりも何よりも価値のない生き物なんだろう。


P.S.
こんなことを書いてますが、私は元気です。