愛犬

我が家には一匹の愛犬がいます。
その名もたろうちゃん。オス。多分10歳くらい。
良く言えば柴犬のハーフ。悪く言えば雑種。
ペットショップのオーナーの家の柴犬ちゃんがどっかの犬に孕まされて、オーナーんちは犬がたくさんでもう飼えない上に雑種ってことでタダで我が家にやってきたたろうちゃん。
なんてお買い得!なんてリーズナブル!
いやそんなことはどうでもいいんだけど。
時々いろんな人に心配されますが、まだ生きてます。ピンピンしてます。
最近は新しいおやつにはまってます。種類は忘れた。
ともかくも我が家唯一の癒し系。
いや、人間で言うところの癒し系は我が家では下の妹なんですが、奴は母親譲りの癇癪持ちで機嫌悪いときは人格が変わるので癒し系失格なのです。
我が家の人間はどうしてこうも誰も彼も表面と裏面に分かれてるんだろう。
まぁそんなことはいいのです。
ともかくもみんなに愛される愛犬が、たろうくんなのです。
ちなみに私の彼に対する愛称がコロコロ代わるのは、中学時代からのデフォルトなので気にしないように。
それも愛ゆえ。
でも、やっぱ最近は、もう彼も二桁のお歳になったので、彼がお亡くなりあそばした後のことをたまに考えるのです。
「たろうちゃんが死んだら、けいはどうなっちゃうんだろうね」って、確か言われたのは高校時代だったかと思うんだけど、その言葉がちっとも大げさじゃないくらい私の生活は彼に助けられてる。
彼と出会う前の私は、なんかもう全部が嫌いで、全部がどうでもよかった。
動物なんて大嫌い。その中でもとりわけ人間が嫌い。その中でも特に自分が死ぬほど嫌い。
真面目な人付き合いなんてめんどくさいことこの上ないから、適当な作り笑顔と馬鹿の振りで本心を全部誤魔化した。
そういう人間だったんです。
このブログ読んでる人の中には、当時の私を直接知る人は一人もいないわけなので、きっとあの頃の私がどんな風だったか聞いたら信じられないって思うと思う。
てか、まぁ、それは私の希望なんだけどさ。
たろうちゃんに会って、あの頃よりは少しマシな人間になれたと私は信じてるから。
私にとっては誰よりも大切な家族なのです。
違うな、きっと、うちの家族みんなにとって、きっと誰よりも大切な家族。
家族中がもうバラバラでどうしようもない状態だったあの当時、きっとあと数年もしないうちにこの家から誰か死ぬか殺すかで死人が出るって本気で思ってたあの当時、誰も死ななかったのは間違いなくたろうのおかげだと思う。
たろうが居なかったら、きっとうちの家族みんな、この家に帰りたくなくなってた。
あのバカ犬が、他所の人にはご近所迷惑なくらいに吠えるアイツが、うちの人間に対してはいつだってどんなときだって尻尾振って出迎えてくれたから、あの子だけがいつだって「おかえり」って言ってくれる唯一の存在だったから。


私はいつも、家のドアの前で心が挫けそうになる。
この家に帰りたくないから。
家なのに、家族と呼ばれる人間がいるのに、この家では私は一人ぼっちだから。
弱音も、愚痴も、泣き声も、何一つこの家の中ではこぼせないから。
誰も、私の帰りを待ってないから。
この家に、私は要らない人間だから。
人が居ても居なくても朝も昼も晩も、いつも鍵がかけられた自宅のドアが、まるで「お前は帰ってくるな」と言っているようで、私はいつも、自分の家のドアの前で心が挫けそうになる。
だけど、鍵を開けてドアを開けたら、いつだってそこにたろうちゃんが居てくれる。
おかえりって言ってくれる。
私に見向きもしない家族と呼ばれる人間の代わりに、いつだって尻尾振って出迎えてくれる。
その時ようやく、私はこの家に帰ってくることを許されたように感じる。
自分の存在を、ほんの少しでも認めてもらえたように感じる。
だからいつも、ドアの前の葛藤なんてどうでもよくなっちゃうんだ。
明日も明後日も明々後日も、きっと「おかえり」を言ってね。
それは他の誰にも務まらない、たろうちゃんだから出来る大役なんだから。
長生きしてね。




ちうわけで、みみーとの愛のメモリーを語ったところで元気復活!
や、さすがに今日のバイトは久々にハードだったもんで(人々に害虫を見るような目で見られるお仕事しました)、へこむへこむ、あーこれ以上はやべーなぁと思いつつもズンドコまで落ちていくのが私の心ってヤツなのです。
でも愛の力で復活なのだ!
ちょっぴり泣いちゃったけどね。だって女の子だもんw
さーてアホな冗談言えるくらいに復活したところで、明後日から一泊二日の温泉旅行いってきまーす♪
準備しなきゃーらららー。