何故

人の命は尊いものだと言う倫理観が常識のようにまかり通っているんだろう。
社会全体では人の命を数字でしか見ていないし、時として状況によって軽んじているようにも感じるのに。
個人的に親しい人の命を特別に思うのは分かるけど、世の中の人にとっては生きてる人間の大多数が自分とは関係ないという認識だよね。
死んだって他人事。
何人死のうが統計数字がいくつか増えるだけ。
こんなんで命の尊さとか言われても、ちゃんちゃら可笑しいとしか思えない。
自分の命が大切ならそう言えば良いじゃないか。
それを自分にとってどうでもいい他人に押し付けないで欲しい。
…と、前回の思いつきについて考えた結果、最大の障害となるであろう倫理観とやらについて思った。
そりゃ一時の気の迷いで死にたくなる人もいて、周りの適切な対応や時間が解決することもあるだろう。
でもこちとらかれこれ約四半世紀死にたい気持ちを抱えて生きてきたんだから、もうどちらかと言えば生きたいと思う方が気の迷いだよね。
それでも生きてこれたのは、私は若くて、いつか未来に希望が生まれ見出せるかもしれないという、まるで蜘蛛の糸のようにか細い希望があったから。
もうそんなもの期待出来るほど若くなくなって、それだけの年月が経った今では、ただただ自分が死ぬ未来のことを考えている。
未来に希望なんて、ない。
それでも生きろと言うのだろうか。
それは、私の心は命よりも軽いという意味にも聞こえる。
心より命の方が大事だと言うなら、いっそ私の心を潰して何も感じず考えないただの生きた肉塊にして欲しい。
それで十分じゃないか。
だって私の命を無理矢理長らえさせることは可能でも、誰にも私の心は守れないし救えないのだから。