バースデイケーキ

誕生日には毎年母親がケーキを買ってくる。
買ってこない年もあるけど、大体はカットケーキを家族の人数分買ってくる。
昔は父親がホールケーキを買ってきてくれた。
「誕生日おめでとう」ってプレートの乗ったケーキで、それを家族全員で囲んで、部屋を暗くしたら歳の数だけの蝋燭に火を灯して誕生日の歌をうたうんだ。
歌い終わったら母親がケーキを切って、みんなで食べる。
私は嬉しくて、ただ幸せで。
どんなに毎日が嫌なことだらけでも、誕生日だけは幸せな気持ちでいられた。
そんな時も、確かにあったのに。
いまはその思い出があまりに遠くて心が痛い。
あの幸せが崩れだしたのはいつからだろう。
多分、生まれて初めて誕生日プレゼントを貰った7歳か8歳あたりからだと思う。
うちは娘三人もいるせいでお金がなくて、プレゼントといったらクリスマスだけってのが通例だった。
でもあの年は違ってて、嬉しくて、浮かれあがって。
そしたら一度も誕生日プレゼントもらったことのない妹がごねだして。
しまいには自分にもプレゼントよこせって泣き出して。
その年の誕生日はもーそれで滅茶苦茶。
極めつけに母親から言われた台詞は、「妹たちが欲しいって泣き出すからもう二度と誕生日プレゼントの話はしないで」
…なんだかなぁ。
その次の年くらいに買ってきたケーキがもの凄い不味くて、それが原因で私は生クリーム嫌いになった。
でもその後も誕生日ケーキは半々くらいの確率で生クリームたっぷりのケーキ。
私がちゃんと誕生日前に「生クリームのないケーキにして」って言ってあった年はチョコケーキ。それ以外はショートケーキ。
つまりは父親は私の好みなんて覚えてなかったってこと。
しかも「生クリームなしで」って私が父親に言う度に妹たちがごねるんだよね。
妹は生クリーム好きだから。
ある年には母親に「お姉ちゃんなんだから生クリームぐらい我慢して」って言われた。
お姉ちゃんだからって、何?
お姉ちゃんだから誕生日のケーキは嫌いなものでも我慢して食べろってか?
笑っちゃうよね。
それとも私がわがままなのかな。
それからは「生クリームなしにして」言うのが馬鹿らしくなって言わなくなったら、案の定毎年生クリームののったケーキが出てきた。
せっかく買ってきてくれたものだから我慢して食べてた頃もあったけど、やっぱり嫌いなものは嫌いなのでそのうち食べなくなった。
この頃から蝋燭も歌もなくなっていった。
自分の誕生日に、自分の嫌いなものを私のためとかいう大義名分で目の前に出されて、それを自分以外のみんながおいしそうに食べる。しかも毎年毎年。
これがどれだけ嫌だったか。
結局は家族の誰もが、私のためとか言いながら私の誕生日なんてどうでもよくて、単に自分たちがケーキ食べたかっただけなんだってことがよくわかった。
誕生日の歌も、つまりは私のためだという名目を保つために歌ってただけ。
初めから全部、幸せだと思ったのはまやかしだったんだ。
誰も、私の誕生日を心から祝ってくれる人なんて、どこにもいないんだと思った。
父親はいつからか私の誕生日を忘れるようになって、ケーキを買い忘れる年や家に帰ってこない年が続いた後、誕生日には母親がカットケーキを買ってくるようになった。
だけどそれは、私の誕生日のお祝いなんかじゃなくて、単なる自己満足と欲求を満たすためのケーキなんだ。
もう嫌と言うほどわかってる。
だけど、それでも、期待してしまうんだ。
幸せだった頃を思い出してしまいそうになるんだ。
私のため、だなんて勘違いをして、喜んでしまいそうになるから。
だから誕生日ケーキは嫌い。
見たくもない。
期待はいつだって裏切られるから。
誕生日に生クリームののったケーキを見るたびに、私の誕生日を祝ってくれる人なんてどこにもいないんだと思えてしまう。
だから、だからね、友達みんなに、プレゼントも何もいらないから、誕生日ケーキと称した私の嫌いなものを、今年こそは私の目の前に出して欲しくなかったの。
それだけがたった一つの願いだった。
今年は、無事叶いました。
相変わらず母親はケーキを買ってきたみたいですが。
ちなみに私が食べられるケーキもちゃんと入ってるんですが、毎年私は気が向かないと食べません。
どうせ、私が食べなければ妹が喜んで食べるだけだし。
そう、わかってるのに、毎年ケーキを見るたび動揺してしまう自分が嫌になる。
早くいろんなことが平気になりたい。
そしてできれば、心から笑って誕生日ケーキを食べられる相手を見つけられるといいな。
今はまだ、苦しいだけだけど。