実は、今日は母の誕生日なんです。
朝から血文字で死ねって書いた手紙を送ったら死んでくれるかなぁとか考えてる私は、やっぱ性格悪いよね。
だってあの人キライ。
物心ついた時から、あの人はずっと私を否定してきた。
私の何もかもを、あの人は否定する。
だから私はあの人を否定する。


顔を合わせれば「私の子どもとは思えないくらい可愛げのない顔ね」と言い、触れようとすれば「汚い手で私に触らないで」と言い、声を出せば「あんたの声を聞いてると頭が痛くなる」と言われた。
幼稚園の時、私は絵を描くのが好きだった。歌を歌うのも好きだった。
今日はね、先生に絵が上手ねって褒められたんだよって、そんな話をしてその絵を見せた時も、
「こんな絵のどこが上手なの。あんたは褒められるようなところが全然ないから、先生はお世辞でそんなことを言ってくれたんだ。そんなんでいい気になって、自分が人より優れた子なんだって見せびらかして、なんてはしたない子なの。」
そう言って書いた絵を捨てられそうになった。
幼稚園で歌った歌を歌えば、必ず「うるさい」と返ってきた。
そんなようなやりとりが何度もあって、私は絵を描かなくなった。歌も歌わなくなった。
うつむきがちに歩くようになり、あまり声を出さないように勤めた。
それでも母の否定の言葉は止まらなかった。
あの人はよく、「あんたさえ生まれてこなければ」と言った。
私が生まれてしばらくしてから、あの人は不治の病にかかった。
当時は原因不明で、色んな病院を渡り歩いて、あの人もかなりストレスが溜まってたんだと思う。
父は父で、仕事にかまけて家に寄り付こうとしなかった。
私は健康そのものだったけど、妹たちは病弱だった。
「あんたが私の養分を吸い取ったから、あの子達も私もこんなになっちゃったんだ。あんたさえいなければ、私もあの子達も元気でいられたのに」と、口癖のように言ってた。
父とはずっと仲が悪くて、「あんたさえ生まれてこなければ今頃は離婚して幸せな生活を送れていたかもしれないのに」というのも口癖だった。
あの人にとって私は、自分の不幸の元凶そのものだったんだろう。
妹たちが寝静まると、あの人は泣きながら私にそういうことや、愚痴を決まって言う。
その度に私は「そんなに私が嫌いなら殺せばいいのに」と思った。
泣くのは卑怯だ。
可哀相だと思えてしまうから。
まるで、本当に私の存在そのものが悪いんだと思えてしまうから。


小学校に上がっても母は変わらなかった。
私がテストで百点をとっても、どんなに先生に褒められても、あの人は嫌な顔をするだけだった。
まるで私の一挙一動が気に食わないかのように、何もかもを否定した。
「あんたは私の子とは思えない」と、よく言っていた。
幼かった私は、生きていくために、私を守るために、母を否定することしか出来なかった。
私を否定する母。
それを受け入れてしまえば、私にはもう死ぬ道しかなかったんだ。
私は、母が大好きで、ずっと好きになって欲しかった。
だけどそれが叶わない望みだと諦めて、私は母を憎んだ。
そうして自分を守ってきたんだ。
今もずっと、あの人を嫌って、憎むことでしか、自分を保てない。
あの人を受け入れることは、自分の存在を否定することなんだ。
幼い頃に言われたあの人の言葉が、今もずっと頭の中にあって忘れられない。
その言葉を真実だと信じて、自分が悪いんだと責め続けた幼い頃の自分が、今も頭の中にいて、私を暗いところに引きずりこむんだ。
どうやったら頭の中のあの子が、いなくなってくれるのかが分からない。
もうあの頃から大分時間が過ぎた。
もう私は成人して、大人と呼べる年齢になった。
この前の家族会議の時に、母は私に「あんたは私に固執しすぎてるんじゃないのか」と言った。
分かってる。自分のしてることがどんなに幼いことなのかってこと、ちゃんと自覚してる。
だけど、消えないんだ。
自分を責める言葉も、あの人への憎しみも。
どうすればいい。
どうしろっていうの。


今日は母の誕生日。
あの人が死ねばいいと思う私は、やっぱりあの人の言うように駄目な子どもなんだと思う。