…あ。

眠れないのでそこはかとなくお仕事以外のことに脳の関心を向けようと思い過去日記から適当にはてなキーワード見ていたのですが、国年法1条「国民年金は、老齢、障害、死亡について、必要な給付を行い、健全な国民生活の維持・向上に寄与することを目的としています。」という記述を目にして、ここにある「国民」とは私じゃない誰かのことなんだろうなと思った。
だって現状私は国民年金のために健全とも言い難い生活を生命活動ごと放棄せざるを得ないかもしれない状況まで追い詰められている。
きっと私のような社会のクズをお掃除して「健全な国民生活の維持・向上に寄与」してくださるということですねありがとう国民年金
社会のクズ(ナマモノ)を燃やせるゴミへと変換してくれるところまでして頂けるとより有り難いのですが、それはきっと社会において今後実装される場合別の管轄のお仕事ですよね高望みしすぎました。
可及的速やかな実装を心待ちにしていますが、多分私が社会のクズ(ナマモノ)のうちは実現しない予感がしているし、ここまで少子高齢化を突き進めた上でなおロクな対応もしない社会では未来においても実現は難しい気もしている。
いっそ滅べと心の隅で思っているし、私の内心に関係なくいつか滅ぶとも思っている。
合理的人口調整を行うには自分大事な人が多すぎるし、その結果大切に大事に育てた未来の子ども達がどんな社会を背負わされるのかから目をそらしているのではないか。
…とか、なんだか私らしくもない社会批判を書き散らしてしまったけど、まぁそういった思考の根本にあるのは概ね普段私の心の奥底に押し込めてる幼い頃痛烈に感じた「みんな全部なくなっちゃえ」という現代人間社会への憎悪なので、全く私らしくないというわけでもない。多分。
だって幼い私には私が泣いてるのにみんな笑ってるのが許せなかったんだもの。
今は歳を重ねて少しは大人になったから、まぁいいかって思えるけどね!
でも幼い頃の強い感情の記憶はもはや人格に焼き付いて剥がれないんだよねぇ…。
まさに社会不適合者の鑑である。
幸せな記憶を指折り数えて頑張ろうと思えたのは、もう何十年も昔の話。


うん、やっぱ私いま精神的に疲れてない?(自問)