「またね」

今日は母方のばーちゃんちに行ってきた。
今お世話になってるのが父方の祖父母の家。
叔父さん夫婦と従兄弟三人が暮らしてる賑やかな家なんだけど、母方の方は早くに祖父が亡くなって、兄弟も散り散りになってて、ばーちゃん一人で暮らしてるんだ。
元気に家庭菜園作ったりデイサービス通ったりカラオケ行ったりしてたけど、三年前に脳梗塞で倒れて以来手足が不自由になって。
それでもなんとか一人で暮らしてるけど、もう80過ぎてて、次倒れたら死ぬかもしれなくて。
そんなばーちゃん。
私は母さんは嫌いだけど、ばーちゃんは嫌いじゃない。
昔、ばーちゃんが山で一人暮らししてた頃は*1、ばーちゃんが畑で作ったトウモロコシを庭で焼いて食べたりして、それが凄い旨かった。
毛虫が大量繁殖した年は、私が泣いてばーちゃんにすがると、笑って毛虫を踏み殺してた。
怖いテレビを見て夜寝れなくなった時は、肩を並べて眠ってくれた。
カラオケと家庭菜園が趣味で、手先が器用で、大抵のことは笑って許してくれる。
そんなばーちゃん。


私が行くと、とても喜んでくれた。
きっとばーちゃんは、一人で平気なんて言って強がってても、やっぱり寂しいんじゃないかと私は思う。
いろんな話をして、私は相づち打ってることのが多かったけど、そうやってゆっくり過ごした。
ばーちゃんは、今はもういつお迎えが来ても良いように、1日1日を大切にゆっくり過ごしたいって言って、もうほとんどどこにも行かず、庭いじりだけを生きがいにしてるらしかった。
夜には父方の家に帰ることになってたんだけど、ばーちゃん、来年の今頃は生きてるかどうかわからないって、泣いてた。
でも、けいちゃんにまた会えるまで頑張るからねって、言ってくれた。
私は「またね」と言って別れた。
私に思いつく、出来うる限りのことはこれだけだった。


私はあまり意識的にこの言葉を使わないようにしてる。
私は、明日は死にたくなって自殺してるかもしれないから。
私の「またね」は、「また会えるまで生きるように頑張るからね」って意味だ。
だから頑張れない気持ちの時は、絶対言わない。
だから、あえて言った。
泣きながら、死に直面しても頑張ると言ってくれたばーちゃんに対して、私も頑張ろうと思った。
このばーちゃんより先に死んじゃ駄目だって思った。
私のやろうとしてる死に方は、自殺は、ばーちゃんに対して失礼で、卑怯だ。
でもわかってても、やらないって保証は出来ない。
私はそんな、どうしようもなく弱くて、くだらない人間だ。
自分を生かすことで精一杯で、ばーちゃんのためにろくに何も出来ない。
だから、私に出来る精一杯は、せめてばーちゃんより先に死なないことだと思った。
頑張ると言ってくれたばーちゃん。
だから私も、負けないように頑張る。
「またね」
必ずまたいつか会える日を願って。

*1:十年くらい前に、あまりに生活に不便な場所なので街に下りてきました